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大阪高等裁判所 昭和43年(う)1770号 判決 1970年6月19日

主たる事務所

大阪市生野区新今里町七丁目一六番地

医療法人

敬仁会

右代表者理事長

火伏純雄

本籍

和歌山県橋本市橋本一丁目二〇番地

住居

京都市左京区岡崎法勝寺九三番地の七

菓子販売業

火伏秀雄

昭和五年七月七日生

右被告法人及び被告人に対する法人税法違反被告事件について、昭和四三年九月二六日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告法人及び被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 山田光夫 出席

主文

原判決を破棄する。

被告法人を罰金二〇〇万円に、

被告人火伏秀雄を懲役四月に

各処する。

但し被告人火伏秀雄に対しては、本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は被告法人及び被告人の連帯負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、記録に編綴の弁護人田中正雄、同三瀬顕、同下村末治、同中辻孝夫、同鳩谷邦丸連名作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点について

論旨は、要するに、原判決は、被告法人の代表者火伏純雄及び被告人火伏秀雄の検察官に対する供述調書各五通を証拠として本件事実を認定しているけれども、右各供述調書は、いずれも、本件法人税法違反事件の捜査に名を籍り、贈収賄事件の捜査をしその追求のために、強制、威迫もしくは誘導により作成されたものであつて、任意性を欠き証拠能力のないものであるから、これをもつて、本件脱税事実の認定の証拠としたのは、判決に影響を及ぼすこと明らかな訴訟手続の法令違反があると主張するのである。

よつて、記録を精査し、原審において適法に取り調べた総ての証拠を検討して案ずるに、所論指摘の各供述調書は、原審第三回公判廷において、弁護人において証拠とすることに同意し、なんらの異議の申立もないのであるから、一応、証拠能力が附与されているのみならず、本件脱税事件の調査は、昭和四〇年一一月二六日ころ、大阪国税局査察部収税官吏によつて開始されたのであるが、被告人火伏秀雄は、当初から収税官吏の質問に対して簿外預金等の不正経理があるにかかわらずこれを具体的に答弁せず(昭和四〇年一一月二六日附質問てん末書記録五四四丁以下)、簿外預金である田村仁純、川崎秀太郎名義の預金につき、融資依頼運動費をこれから引き出した等と主張しながら、その使途を具体的に供述せず、また近畿相互銀行鶴橋支店から、昭和三九年四月三〇日に川崎秀太郎名義で借入れた一〇〇万円の使途につき、具体的に述べにくいが医療金融公庫からの借入の運動費として使用したと抽象的に供述するに過ぎず(昭和四一年二月五日附質問てん末書記録五八〇丁以下)、そのため合計八三〇万円位の金員が解明できない状況であり、しかも不正経理は全部自己の考えで行つたもので、被告法人の代表者火伏純雄等と相談したこともなく、査察調査を受けるまで不正経理をしていたことを知つているのは、自己以外にはなかつた旨供述し(昭和四一年四月五日附質問てん末書記録五九一丁以下)て、右火伏純雄との共謀関係を否認していたため、捜査官は、本件脱税事件の真相を究明するため、被告人らの証拠隠滅を防止するために強制捜査に切りかえ、昭和四二年一月八日逮捕し、引続いて、勾留して取り調べたものであつて、当初から本件法人税法違反の捜査がなされたものであり、所論のように法人税法違反に名を籍り贈収賄事件の捜査がなされたものでないことが認められる。なるほど、被告法人代表者火伏純雄が贈賄被疑事件につき、昭和四二年一月一六日大阪拘置所において、大阪地方検察庁検事河田日出男から取り調べを受け、医療金融公庫の職員平野勝二郎に対し、病院建設等の資金の融資を受けた謝礼の趣旨の下に、三〇万円を贈つた経緯について、供述調書(記録四六四丁以下)が作成されているけれども、右供述調書は、被告人火伏秀雄らが本件脱税事件の被疑者として、同年一月八日逮捕され引き続いて勾留されて取り調べを受け、その捜査が進むにつれて、不明出金の使途に関連して取り調べられたものであるに過ぎないと認められる。そして所論指摘の各供述調書は、形式において欠けるところはなく、内容において自然な供述がなされており、本件脱税事件の大綱において関係証拠と符合するものであり、被告人らが強制、威迫、誘導により自白を強要されたといい、火伏純雄の日記(ノート)があるけれども、当審証人河田日出男の証言に徴し被告人らの自白を強要したと疑わしめる点はないから、その任意性に欠けるところはなく、右各供述調書は証拠能力を有するものと断ずるの外はない(もつとも、火伏純雄の骨董品の取引関係について、同人の誤解、記憶違いがあつて証拠と符合しない点があるが、この点については後述する)。以上の次第で、原判決には、所論のような訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点、第三点について

論旨は、要するに、任意性、信用性のない被告法人代表者火伏純雄及び被告人火伏秀雄の検察官に対する各五通の供述調書を証拠として採用して、(1)簿外預金及び簿外現金の在高をもつて当該事業年度の事業収入金額と認定し、(2)松本薬品商会名の仕入はすべて損金であるにかかわらず、これを全部簿外所得金額と認定し、(3)簿外経費はすべて損金計上すべきであるにかかわらず、これを所得と認定し、(4)骨董美術品購入代金の理事長貸付計上は、法人の所得に計上すべきであるにかかわらず、これを簿外所得金と認定した原判決には審理不尽ないし事実の誤認があるというのである。

よつて案ずるに、先ず、被告法人代表者火伏純雄及び被告人火伏秀雄の検察官に対する各五通の供述調書は、任意性に欠けるところはなく、十分信用できるものであることは、前段認定のとおりであるところ、本件記録及び原審ならびに当審において取り調べた総ての証拠によると、本件脱税事件は、被告法人代表者火伏純雄及び被告人火伏秀雄が相謀つて、被告人の病院増改築費及び分院である琵琶湖胃腸病院の建築費の捻出のため、更には、被告法人代表者火伏純雄の個人的趣味を満足させるための骨董美術品の購入代金充当のために、架空人名義の預金をして簿外経理して所得から除外し、あるいは、事業経費と仮装して所得除外するために、松本薬品商会なる架空名義を用いて薬品等の仕入をした如く装い、その仕入代金を公表帳簿から差引き経理をする等の不正行為によつて、法人所得の秘匿をして脱税したことが認められる。そこで所論の諸点について検討して判断する。

一、松本薬品商会名義の架空仕入について

松本輝雄に対する収税官吏の質問てん末書中「松本薬品商会という商店は実在しないものである。昭和三八年春頃、敬仁会の病院事務室で理事の火伏秀雄であつたと思うが、同人から、私の名前を貸して欲しいと頼まれ、私は、その時架空の取引に使用する取引口座を作るのだと思つたが、当時、私がつとめていた竹村薬品と病院との取引の減少をおそれて承知した。そして、私が今里駅前の判屋で横書の『大阪市東住吉区住道町八五七、松本薬品商会』というゴム判を作り、依頼された日から約一週間程してから病院内で依頼された人に渡したが、ゴム印の代金は私が支払つた。そしてその後、この名前を使用して、モリアミン、ブドウトウとかの薬品を仕入れたと聞いたが、当然、これらの代金は受取つていないし、商品も納入していない」旨の供述記載があり、火伏純雄の検察官に対する昭和四二年一月九日附供述調書中、「松本薬品商会から仕入れたように架空の仕入れを計上したが、これは、私が考え出したもので、息子の秀雄に、『松本から領収書を貰つて仕入をしたようにしておけ』と指示した。領収書があれば税金面で認めて貰えると考えたからであるが、現実に仕入れていないのに、仕入費用に計上したもので偽りである」旨の供述記載(記録四六一丁以下)があり、被告人火伏秀雄は検察官に対し「松本薬品という架空会社の判を用意して、ここからの架空仕入れを計上して、本勘定から現金を抜きとつて病院拡張資金を蓄積した」旨供述し(検察官に対する昭和四二年一月一七日附供述調書記録六三五丁)、押収にかかる敬仁会の昭和三八年仕入帳及び昭和三九年度仕入帳の各記載を総合すると、被告人火伏秀雄が病院出入りの薬品販売業者の外交員松本輝雄に、松本薬品商会なる架空名義のゴム印を作成して貰い、これを使用して架空仕入を計上して本勘定から抜き取つていたもので、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日に至るまでの間の事業年度において合計三、四六九、九〇〇円を、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日に至るまでの間の事業年度において合計四、九二五、〇〇〇円を、それぞれ架空経費として計上し、同額の法人所得を秘匿したことが認められるのであつて、この点に関する審理不尽ないし事実の誤認はない。

二、簿外預金及び簿外現金について

被告人火伏秀雄の検察官に対する昭和四二年一月一七日附供述調書中「脱税の動機は、病院拡張資金の蓄積のためであるが、私は、敬仁会の理事長火伏純雄の娘婿であつて、今里胃腸病院の経理担当をしている。昭和三七年初ころ、父(火伏純雄)から『病院の増改築して、何とかベット数をふやしたいので資金を蓄えねばならぬ』といわれたので、私は父に『病院の現金収入をはねて(除外して)架空名義で預金しておけば、その分は税金を払わなくてすむ。別口にして預金は病院に保管しておくので心配はない』というと、父は『分らんようにしつかりやれよ。何とかうまくためてくれ』といわれた。そこで次に述べるような手段で脱税したのであるが、<1>現金収入の除外については、病院の収入の約三〇パーセントは、現金収入であるが、それを一日五万円ないし一〇万円抜いてプールした。その方法は、毎日当直の女の子が、実際の現金収入を、その明細をタイプした用紙とともに、私のところへまわして来るので、これから、私は適当に伝票領収書控等を抜いて破り捨て、それに見合う金額を抜きとつて、別の袋に入れ、金庫にプールした。金銭出納帳四冊に添付してあるタイプ用紙が実収入で、そこから適宜、抜いたわけで、このノートに、例えば近相川崎二〇万と書いてあるのは、二〇万円の現金を抜いて、近畿相互銀行鶴橋支店の川崎秀太郎名義の簿外預金に入れたのである。しかし、ノートに書いた数字自体は、抜き取つた額は別として、特段の意味はない。このノートは、昭和三九年一〇月二六日以降しかないが、それ以前の分は焼き捨てた。このようにして現金収入を除外したあとの現金と、それに見合う伝票等を、事務の中井婦美代にまわし、金銭出納帳に記載させると共に、この出納帳や金額以外の伝票によつて、私が公表の経理帳等の補助簿及び元帳に記帳して、これに基いて申告していた。かように、現金収入を除外することは、父の了解によつてやつたことである。<2>振込収入除外については、病院には、健康保険等の支払金が、銀行預金に振込まれて来るわけであるが、今里胃腸病院が昭和三八年二月一一日医療法人になる前から、住友銀行片江支店に火伏純雄名義の当座預金があり、保険の払込先によつては、病院が法人になつた後も、右の個人預金の振込みを続けて来ていた。それをそのままにしていたので、法人の収入が右の父個人の当座預金に入つたものになつて、その収入が除外されたわけで、右預金は父個人の預金だから、父もこの間の事情はよく知つている。その他<3>架空仕入の計上や<4>架空経費を計上して、本勘定から現金を抜き取つてプールしていた。プールした資産の蓄積方法は、簿外預金、架空借入金の計上等をしたのであるが、簿外預金は、三和銀行今里支店、近畿相互銀行鶴橋支店などに、田村仁純、川崎秀太郎その他二、三の名義で別に預金にしたのである。これらの預金も銀行借入金の担保に供しており、父は病院の施設拡張のための資金を銀行から借入れるに当つて、この担保となる預金が公表、簿外合わせて、いくらあるかということは、よく聞いていたので簿外預金の額は、よく判つていた筈である。(中略)架空借入金の計上は、簿外預金から本勘定に現金を繰り入れる際は、父や私からの借入金ということにして本勘定に上げた」旨の供述記載(記録六三五丁以下)があり、火伏純雄の検察官に対する昭和四二年一月九日附供述調書中「私は、医療法人敬仁会の理事長、今里胃腸病院の院長であるが、近畿相互銀行鶴橋支店に、預金取引していた田村仁純、川崎秀太郎名義の普通預金は、医療法人敬仁会の簿外預金である。これらの預金は、右病院の収入金の一部を除外して、病院の表帳簿に、のせないで除外したものを貯蓄していた口座である。この口座から出金されている使途不明金及び簿外の個人名義当座預金から出金したものは、私の個人的趣味を満足させるために美術骨董品を多数購入するのにつかつた」旨の供述記載があり(記録四四〇丁以下)、更に同人の検察官に対する昭和四二年一月九日附供述調書中には、「病院を大きくし、充実させるために、病院の収入の一部を裏に廻す等して脱税したが、息子の秀雄(被告人火伏秀雄)に私が命じて具体的な収入除外のやり方やこれによつて得た金を銀行に裏預金したりする事務をまかせてやらせていた。(中略)病院の収入支出、金銭出納、預金出納、会計事務は、院長の私と息子の秀雄が掌握しており、その手伝いに事務員の仲井婦美代を使つていた。(中略)医療法人敬仁会の納めなければならない法人税を実際の所得金額より過少に計算申告して、税金を免れたことは間違いない。昭和三八年二月法人設立以前から、病院の収入金の一部を除外していた。昭和三八年三月末までの事業年度、それに続く昭和三八年四月から昭和三九年三月末までの事業年度、昭和三九年四月から昭和四〇年三月末までの事業年度は、いずれも法人税を脱税したことは間違いない。脱税の方法は、病院の事業収入金の除外が主である。事業収入は、診療収入であるが、自費診療、保険診療のうち自己負担分の各現金収入金を一部分だけ病院の表帳簿に計上し、残りを除外して裏帳簿に計上して、この金を簿外の預金としてプールする方法である。診療収入の除外額の概算は、昭和三八年四月から昭和四〇年三月までのものについてみると、毎月、少ない月で約一〇〇万円位、多い月で二五〇乃至二六〇万位は除外していた。かような収入除外は私が秀雄に命じてやらせたのであるが、その目的は、病院の充実のために、資金がどうしても必要であり、銀行から金を借りるにも担保になる裏の預金が必要であつたからである。私は、病院の木造建物を鉄筋の建物にしたかつたし、手術場の新設、レントゲン深部治療器、胃カメラ、手術台、テレビレントゲンなどの設備が欲しかつたからである。それで、昭和三七年初ころ、私は、息子の秀雄にこういう設備を早くしたい、鉄筋の病院にしたい。それが出来るように資金面の準備を心掛けるように、しばしば折にふれて話をした。秀雄が、銀行は裏の定期預金がないと金を貸してくれない。銀行の人もそのように言つている。裏金を作らなければならないと私に言つていた。それで私は、右のような病院の建築設備の充実をするための裏金をつくるために、収入の一部を除外し、税金の対象から外して行こうと考え、秀雄に『細い会計の作業はお前にまかせておくから裏金を作るようにしろ』と言つたのである。(中略)近畿相互銀行鶴橋支店に収入の除外金をプールするため、普通預金口座の名義は田村仁純の偽名をつかつた。その後川崎秀太郎という架空人名義の口座も設けたのである。プールした普通預金から、ある程度金が貯つた時に簿外の定期預金を作つておいた。これは銀行借入金の裏担保に入れている。更にプールした右の普通預金から私や家族らの個人名義の多数の月掛預金口座を設けて、貯つた金を少し宛移動させて行き、この月掛預金が満期になれば、簿外の定期預金にして行つた。また病院の表の経理に金が不足する時は、私が金を貸したように架空の借入金を起す方法で裏の金を表へ上げて行つた。その金の返済には一部返済されたものとした金を、私や実族らの月掛預金に廻したものもあつたと思う。更に個人名義の当座預金口座を設けておいて、前述の普通預金からの金や架空借入金の返済金として病院の表経理から出た金を当座預金に入れて個人的支出へ使つた。私は必要な都度、秀雄に現在どのように、いくら裏預金がたまつているか聞いていたので、よく承知している」旨の供述記載があり(記録四五一丁以下)、仲井婦美代の供述書には、「住友銀行片江支店今里胃腸病院火伏純雄口座への振込金は、大阪市交通局健康保険組合、島根県国民健康保険組合よりの診療報酬支払金であるが、その金額は本勘定帳簿には記帳されていない」旨の記載があるのであつて、以上に、小池喜芳作成の銀行調査書類、簿外貸付金調査書類、架空借入金等調査書類及び押収にかかる金銭出納帳四冊、元帳二綴(昭和四二年押第七二四号2、3)の各記載を総合すると、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの事業年度において<1>事業収入金を除外し入金した簿外普通預金二、七六九、一一六円、<2>簿外普通預金から火伏純雄らの個人の月掛預金に充てた金額一、九一〇、〇〇〇円、<3>保険診療にかかる収入金で火伏純雄個人口座に入金して簿外経理された金額七五三、六八七円、<4>火伏純雄、火伏秀雄からの架空借入金の返済として簿外経理された預金一、九〇二、五〇〇円であり、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの事業年度において<1>事業収入金を除外し入金した簿外普通預金五、四〇二、四八二円、<2>簿外普通預金から火伏純雄らの個人月掛預金に充てた金額四、一〇〇、〇〇〇円、<3>保険診療収入金で火伏純雄個人口座に入金して簿外経理された金額一五五、〇五二円、<4>火伏純雄、火伏秀雄からの架空借入金の返済として簿外経理された預金四、九〇〇、〇〇〇円であることが、それぞれ認められるのであつて、この点に関する原判決には審理不尽ないし事実誤認の違法はない。

三、簿外経費について

所論は<1>京都大学研究費二五〇、〇〇〇円、<2>看護婦雇入に伴う経費一八〇、〇〇〇円、<3>賀陽宮に対する顧問料一〇〇、〇〇〇円、<4>慰安旅行費二〇〇、〇〇〇円の簿外経費を損金に認めないのは失当であるというのであるが、なるほど、これらの経費は、本質的には、損金経理されるものであつても、公表経理から故らに除外して簿外経理されており、簿外事業収入金から支払われると認定するのが合理的であるから、これらの経費はすべて利益処分といわなければならない。したがつてこれを損金と認めなかつた原判決には、審理不尽ないし事実の誤認はない。所論は採用しがたい。

四、骨董美術品購入代金の確定について

所論は、要するに、本件脱税事件に関する架空の使途不明金のすべてが、骨董美術品の購入代金に充当費消されたとするのは失当であるというのである。そこで、この点について検討する。火伏純雄は検察官に対して、「医療法人敬仁会、今里胃腸病院の事業収入金から、私が趣味にしている書画骨董美術品を購入した。右病院の金で使途不明の出金の使い道の大半は、娘婿の秀雄から、病院の金を出させて美術品を購入したのである。そして概略の購入に充当した金額は、昭和三七年から査察をうけるまでの間に、美術ブローカー辻田(長滝谷茂雄)から合計一、五〇〇万円位、京都の鉄斉堂から約三〇万円位、瀬戸の中村から約六〇〇万円位を購入した。押収された美術品関係をメモしてある私の手帳、日記帳、メモ書及ぎ私の記憶にもとづいて取引先別に日時を追つて、購入品目、金額などについて明細表を作成するが、そのとおり間違いないと思う。これらの美術品の購入に充当した金は病院の金であつて、病院の事業収入を除外して裏に貯えられた簿外の預金等である。簿外預金の田村仁純、川崎秀太郎名義の近畿相互銀行鶴橋支店の普通預金がそうであるし、架空の借入金の返済金のうち例途不明のもの、架空仕入計上による抜取り金額の使途不明分、私などに対する貸付金中の使途不明分のものなど、使途不明のものの大半が、こういう美術品購入にあてられている。これらの使途不明出金の日時、金額と明細表の実支払金額とが完全に符合しないと思うが、ある程度の期間をまとめてみれば、まとまつた金額は大体合う筈である。架空借入金勘定の発生である貸方記入の金額の源泉は、病院の収入除外の手持金、簿外の現金をブールしていたもの、簿外の預金の二つ以外にはないと思う。」旨供述し(検察官に対する昭和四二年一月一七日附供述調書記録四八二丁以下)、右明細表によれば、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの間に火伏純雄は、長滝谷から四、一四二、〇〇〇円、鉄斉堂から三五一、〇〇〇円、瀬戸中村を通じ二、五〇〇、〇〇〇円合計六、九九三、五〇〇円を、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの間に、長滝谷から七、四五九、五〇〇円、瀬戸中村を通じ一、五一〇、〇〇〇円合計八、九六九、五〇〇円を購入されているのである(記録四九〇丁以下)。そして、この資金出所関係についてみると火伏純雄の検察官に対する昭和四二年一月二三日附供述調書によれば、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの間、松本薬品架空仕入から二、四三九、九〇〇円、架空借入金の返済から一、九〇二、五〇〇円、簿外預金から一、〇三〇、〇〇〇円架空貸付金から一、八六九、〇〇〇円合計七、二四一、四〇〇円であり、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの間、松本薬品架空仕入から一、二七五、〇〇〇円、架空金の返済から四、九〇〇、〇〇〇円、簿外預金から二、六五〇、〇〇〇円、架空貸付金から二、二一〇、五〇〇円合計一一、〇三五、五〇〇円であるというのであり、一方、長滝谷茂雄は検察官に対し、火伏純雄に骨董品を販売したのは、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの間に五、〇九八、〇〇〇円、昭和三九年三月三一から昭和四〇年三月三一日までの間に六、三二四、五〇〇円であると供述し、(検察官に対する昭和四二年一月一六日附供述調書記録五二八丁以下)ているのであつて、購入金額の一致を欠くのである。なるほど、本件取引の形態は、取引の都度、全部現金取引をしたとは限らず、時には手附金として代金の一部を支払い、残金は後日の取引の際に支払うこともあり、あるいは、一旦買入れながら後日になつて物物交換をしたこともあり、更には、一旦買入れながら利益があればこれを他に売りに出すこともあり、また、一旦預つた品物を後日に返却したり、取引金額の過不足は数ケ月後に清算している関係から、火伏純雄や長滝谷茂雄においても、記憶違いや計算違いがあることが推認されるところからすると、前示のような取引金額の不一致も生ずると考えられる。そこで当審で取り調べた火伏純雄、長滝谷茂雄の各供述及び押収にかかる骨董品目録(大阪高裁昭和四三年押第五一三号八号、カレンダー日記帳(同第五一三号七号)、手帳二冊(同第五一三号一五号の一、二)を総合して更に検討すると、長滝谷茂雄との取引において、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの間、昭和三八年における四月中の取引関係において、古鋼人物置物外四点(八〇、〇〇〇円)ナツメ外八点(一六〇、〇〇〇円)随流軸(一〇五、〇〇〇円)炭取丸盆(二〇、〇〇〇円)合計三六五、〇〇〇円については証拠がないからこれを認めることはできない。五月中の取引関係において、白香爐外四点(一七一、〇〇〇円)玄々斉軸外二点(一四〇、〇〇〇円)細川三斉公花入(二五六、〇〇〇円)以上合計五六七、〇〇〇円についてはこれを認めるに足る証拠がない。六月中の取引において二五〇、〇〇〇円は火伏純雄が長滝谷茂雄から借金の申込みを受け同人に貸したものであつて取引に関係がない。七月中の取引において織田信長書外二点(二〇〇、〇〇〇円)はこれを認めるに足る証拠がない。八月中の取引において八月八日茶碗(九〇、〇〇〇円)はこれを認めるに足る証拠がない。一〇月中の取引において琥珀(一五、〇〇〇円)盆(二〇、〇〇〇円)計三五、〇〇〇円は火伏純雄において買い取つていることが認められる。昭和三九年における一月中の取引において水指外七点(一六〇、〇〇〇円)、二月中の取引における竹花入(二〇、〇〇〇円)は、火伏純雄が売却を依頼して長滝谷に渡したものであつて、右火伏において買い取つたものではないことが認められる。次に、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの間、昭和三九年における六月中の取引における箱付(二、五〇〇円)はこれを認めるに足る証拠がなく、七月中の取引における八日高野徳利五個(一五〇、〇〇〇円)は右火伏において長滝谷に返品して取引されていないことが認められる。一一月中の取引における手付(三〇、〇〇〇円)、備前水指外一点(二〇〇、〇〇〇円)はこれを認めるに足る証拠がない。昭和四〇年二月中の取引における交趾壺(八、五〇〇円)についてもこれを認めるに足る証拠がない。以上に徴すると火伏純雄と長滝谷茂雄との取引において、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの間に合計一、六一七、〇〇〇円、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの間に三九一、〇〇〇円の取引は、それぞれ存在しなかつたものと断ずるの外はない。更に、瀬戸方面より購入した骨董品関係についてみると、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの間に購入した総額は二、〇九七、二〇〇円であることが認められるから、火伏純雄が検察官に供述した総額二、五〇〇、〇〇〇円との差額四〇二、八〇〇円は取引がなかつたものといわなければならない。また、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの間に購入した総額は、一、〇三九、二〇〇円であることが認められるから、右火伏が検察官に供述した総額一、五一〇、〇〇〇円の差額四七〇、八〇〇円についても取引が存在しなかつたものといわなければならない。

以上を総合すると、被告法人代表者火伏秀雄は主任弁護人弁護士志賀親雄と違名の公訴事実に対する意見の変更と題する書面を提出し、公訴事実は全部争わない旨記載されているのであるけれども、被告法人の昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの事実年度における実際所得金額は二二、〇二〇、九六〇円(24040.760-1.617.000-402.800)であり、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの事業年度における実際所得金額は二七、二二九、七二四円(28.091.524-391.000-470.800)であると断じなければならないから、この点において原判決は事実を誤認したものであつて、その誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れない。結局論旨は理由がある。

よつて、量刑不当の判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告法人敬仁会は、大阪市生野区新今里町七丁目一六番地に主たる事務所を置き、病院及び診療所を経営し科学的で旦つ適正な医療を普及することを目的とする資産総額一、一〇〇万円の医療法人であり、被告人火伏秀雄は、同法人の理事であつて、その経理を担当統轄していたものであるところ、同被告人は被告法人の業務に関し、その法人税の一部を免れようと企図し、公表経理から事業収入の一部を除外し、架空の仕入や経費を計上するなどの不正な方法によつて所得の一部を秘匿したうえ

第一、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの事業年度における被告法人の実際所得金額は、二二、〇二〇、九六〇円で、これに対する法人税額は、八、二五八、三一六円であつたにもかかわらず、右所得金額中二〇、三一七、五七一円を秘匿して、昭和三九年六月一日大阪市生野区所在の所轄生野税務署において、同税務署長に対し、右事業年度における被告法人の所得金額は、一、七〇三、三八九円であり、これに対する法人税額は五五二、四四〇円にすぎない旨所得金額等を、ことさら過少に記載した法人税確定申告書を提出し、右秘匿所得に対応する法人税七、七〇五、八七〇円は法定の納付期限を経過するもこれを納付せず、もつて不正行為により、右同額の法人税を逋脱し、

第二、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの事業年度における被告法人の実際所得金額は、二七、二二九、七二四円で、これに対する法人税額は、一〇、一八三、三四六円であつたにもかかわらず、右所得金額中二六、〇三二、五七三円を秘匿して、昭和四〇年五月三一日前示生野税務署において、同署長に対し、右事業年度における被告法人の所得金額は、一、一九七、一五一円でこれに対する法人税額は、三八一、〇九〇円にすぎない旨所得金額等をことさら過少に記載した法人税確定申告書を提出し、右秘匿所得に対応する法人税九、八〇二、二五六円は、法定の納付期限を経過するも納付せず、もつて、不正行為により右同額の法人税を逋脱し、

たものである。

(証拠の標目)

原判決掲記の証拠を引用するほか、骨董品目録(大阪高裁昭和四三年押第五一三号八号)、カレンダー日記帳(同第五一二号七号)、手帳二冊(同第五一三号一五号の一、二)

(法令の適用)

原判決掲記の各法条を適用して主文第二項ないし第四項のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹沢喜代治 裁判官 尾鼻輝次 裁判官 知識融治)

昭和四三年(う)第一、七七〇号

控訴趣意書

被告法人 医療法人敬仁会

代表者理事長 火伏純雄

被告人 火伏秀雄

右被告法人及び被告人にかかる法人税法違反被告事件についての弁護人の控訴趣意は左記のとおりである。

昭和四四年三月五日

右主任弁護人 田中正雄

副主任弁護人 三瀬顕

弁護人 下村末治

弁護人 中辻孝夫

弁護人 鳩谷邦丸

大阪高等裁判所第四刑事部 御中

目次

第一点 理由不備・採証の誤り

一、捜査当局の逮捕・勾留の意図について

二、逮捕・勾留の具体的状況について

三、火伏純雄に対する取調状況について

四、被告人に対する取調状況について

五、結論

第二点 理由不備・理由のくいちがい・審理不尽

一、検面調書の任意性について

二、簿外預金・除外現金の増差額の確定について

三、骨董品の購入金額の確定について

四、松本薬品商会名義の変名仕入について

五、簿外経費の存在について

第三点 事実誤認

一、松本薬品名義の変名仕入の経費計上否認について

二、簿外預金・除外現金の認定について

三、その他の簿外経費の否認について

四、骨董美術品購入代金の理事長貸付金許上について

五、各事実誤認の生じた縁由について

第四点 刑の量定の不当

一、所得計算の著しい不正確

二、本税・重加算税等の納付

三、本件公訴提起に至つた事情

四、経理の杜撰さと脱税態様の幼稚さ

五、本件関係者の反省等

第五点 当審における事実審理の請求

第一点 (理由不備・採証の誤り)

原判決はその証拠として、いずれも証拠能力のない火伏純雄の検察官に対する供述調書(以下検面調書と略称する)五通と被告人秀雄の検面調書五通とを採用したが、右各検面調書を除いては原判決摘示の事実は認定できないから刑事訴訟法三七八条四号の理由不備となり、また、証拠能力のない右各検面調書を採用した違法があるから同法三七九条の訴訟手続の法令違反をおかしたのであり、この違法は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

一、捜査当局の逮捕・勾留の意図について

本件法人税法違反事件を取調べた各担当検察官は、捜査当初から政治家の絡む贈収賄事件として厳しく追求すべく、本件事件の名を借りて本来身柄拘束の必要性が全くない火伏純雄および被告人秀雄を突然逮捕し、勾留更に勾留延長を図り以下に述べるとおり再三深夜に亘る強制、脅迫、虚偽の事実を告げる誘導尋問、押しつけがましい理詰尋問の連続のため、心身ともに疲労困憊した右両名から捜査官の独善的、恣意に因る右各検面調書が作成されたのであつて、全く任意性のない、また、想像上の右各検面調書が出来上つたのである。しかし、取調べの結果贈収賄の事実が全くないことが判明したので捜査官は右違法逮捕、勾留をカモフラーヂュするため国税局の認定した脱税額を遙かに上まわる脱税額を捏造し、本件起訴に及んだものであつて、火伏純雄と被告人秀雄の両名の右検面調書は捜査官の想定のままに作成されたこと明白である。従つて、右各検面調書はすべて任意性を欠き、違法に作成されたものであるから証拠能力がなく、これらを証拠として採用した原判決は違法であり、且つ、右各検面調書が証拠として採用されない限り原判決摘示の他の証拠をもつてしては原判決認定の事実は確証されないから原判決はその理由を欠くものとして破棄されなければならない。

二、逮捕・勾留の具体的状況について

火伏純雄および被告人秀雄は昭和四二年一月五日に検察官当局より脱税の件につき事情を聞きたい、平日は患者の診療で急がしいだろうから一月八日、日曜日の午前一〇時に大阪地方検察庁へ出頭するようにとの電話連絡があつた。検察庁からの本件に関する通知連絡はこれが最初であつた。

右両名が右日時に検察庁に出頭したところ、各担当検事は脱税の件とは名目だけであって、専ら政治家等に対する贈収賄の件について強硬に自供を迫り、これを否定すると検察官にあるまじき罵詈雑言を右両名に浴びせ、同日午后八時三〇分ころ法人税法違反被疑事件で逮捕され、ひき続き深夜に至るまで専ら贈収賄の件についてのみ取調べを受けた(被告人の原審第五回公判延における供述、火伏純雄の原審第四回公判延における供述、別添火伏純雄作成日記感想録一月八日)。

火伏純雄および被告人秀雄は勾留中大阪拘置所内で殆んど連日深夜(時には午前一、二時ころまでも数回)に亘る下品な悪罵を忍びながらの過酷な取調べを受け続けた。このため、右両名は精神的にも肉体的にも疲弊の極に達し、いかに取調検事の偏見、邪推が余りにも真実と異りすぎると判りながらも、悪罵と理詰めの質問、誘導尋問に抗しきれず、検事の想定事実に迎合追従してしまった。特に被告人秀雄は骨董に関する予備知識もなければ興味すらないのに、全く知らない火伏純雄の骨董美術品購入関係を被告人秀雄において全部知悉しておるかのように検面調書が作成されている(被告人の原審における第五回公判延における供述)。

三、火伏純雄に対する取調状況について

火伏純雄は被告法人の理事長であり医師としての最高責任者であつた。従つて、前記一月八日の余りにも突然の逮捕それに引き続く接見禁止の勾留のため、被告法人の多数の患者特に胃腸病や癌関係の重病患者の処置につき他の医師との打合せもできず、精神的動揺が如何に激しかつたか論証の要もない程明白であり、当時から白血球減少症、放射線障害糖尿病を患らつていたので体力も弱っていた(火伏純雄の原審第四回公判延における供述)。このような精神的、肉体的衰弱状況の下において、主任河田検事の取調べが如何に過酷、強圧的であったかを詳述する。

(1) 勾留二日目の一月一一日の取調べにおいて河田検事より追求された「病院建設に関し数百万ないし数千万円の運動資金を使つたろう」とか、「坊秀男代議士に数百万円を渡し医療金融公庫からの融資を頼んだろう」と逮捕以来相変らず勾留原因と全く関係のない贈収賄事件の取調べに終始し、これを否定する毎に検事は「大ホラふき!」、「二重人格者!)、「精神病患者!」等と口ぎたなく罵倒し、取調机を鋏んで面対する火伏純雄に向つてセルロイドの物差で机を激しく叩いて威迫し、更には壁の間際に行かされ、壁に向つてながい時間直不動のまゝ起立させられ、全身に屈辱的な罵倒を浴びた。更には、また、同検事は火伏純雄に向つて「一生こゝにいることを希望するならば望みどおり入れといてやろう」とか「お前の一生はこれで終りにしてやろう」とまで極言された(火伏純雄の原審第四回公判廷における供述、前記日記感想録一月一一日)。

(2) 同検事は取調べの途中、被告人秀雄が「昭和三八年の代議士選挙の際に坊代議士に数百万円を運動費として渡した」旨の被告人の自白があつたと虚偽の事実を火伏純雄に告げ、火伏純雄を錯誤に陥れ検事の意図する方向へ供述を誘導しようと奸策を弄した(火伏純雄の原審第四回公判廷における供述、前記日記感想録一月一一日、一月一二日)。

(3) 同検事は、また、取調べの途中、被告人秀雄が「父は坊代議士に七〇万円もの壺を贈つた」旨自白したと虚偽の事実を火伏純雄に告げ、同人からこれに添う供述を得ようと違法な誘導を弄した。その後被告人の昭和四二年一月一六日付検面調書第九項で被告人が右に添う供述をしているが、この供述も被告人秀雄が取調べ検事から騙され、誘導された結果供述したことになつているのであつて、決して坊代議士に七〇万円の壺など贈られていなかつたのである(被告人の原審第五回公判廷における供述、前記日記感想録一月一二日)。

(4) 河田検事は取調べの途中しばしば火伏純雄に対して「被告人との供述が八〇パーセント揃えばいゝのだが……」とか「使途不明金が相当あるが支払先が明らかになれば贈賄の容疑は解決するのだが」とかの言葉で暗に検事の誘導に迎合すれば今後の取調べに手加減をするかのように巧みに火伏純雄の供述を検事の思惑どおりに誘導し、同人の供述を誤った方向へ誘導し、事実を捏造した(前記日記感想録一月一九日)。

四、被告人秀雄に対する取調べ状況について

被告人に対する堀田検事の取調べは被告人の弁解、真実の供述に対する侮蔑と嘲笑、脅迫と強制、検事の邪推による誘導に終始し、被告人の供述書としてではなく、むしろ取調検事の意見書といつた方が適するほどの各検面調書であった。被告人は火伏純雄のように獄中日記はつけていなかったが、原審の第五回公判廷における供述および本控訴審の被告人尋問を通して被告人の各面調書につき任意性のない、また、虚偽、架空の内容を包含された証明力の乏しい資料であることを明白にしたい。

被告人も火伏純雄と同様逮捕当初から勾留期間の殆どを贈収賄の尋問で明け暮れた。堀田検事から形式的に黙秘権のあることを告げられたのは検察庁に任意出頭した最初の一回限りで、逮捕後の検事取調中一度も黙秘権の存在を告げられもせず、却つて、検事の意向に反する真実を供述すると検事は被告人に口荒く「お前は学生時代に梅毒をもらつて阿呆になつたのだろう」とか「わしが帳面を調べたらこうなる。お前のような阿呆には判らない」とか罵倒され、結局、同検事の一方的推断、想定による理詰めの詰問、度を越した誘導尋問のため被告人がいくら否定、弁解しても聞き入れてもらえず、却つて馬鹿者、病持ち扱いをされ、やむなく検事の意向どおり追従し「そう言われゝばそうかも知れません」と全く真実に反する事実を推定させられ、その強制、誘導された推測が恰も被告人において積極的に供述したかのように各検面調書に録取された。更には、前記三(3)の坊代議士に贈つた壺についても値二、三千円相当のものだと供述しても、検事は「お前の親父は八〇万円もする壺を渡したと言つている」と虚偽の事実を告げて、これに添う供述を強制的に誘導し、読み聞けも口の中でつぶやくような早口で読まれ意味もよく判らないまゝ署名捺印を求められたものであつた(被告人の原審第五回公判廷における供述)。

五、以上のとおり火伏純雄および被告人秀雄に対する検事の取調べは全く常軌を逸し、自白をとるためには法の運用者、公的機関としてあるまじき言動を繰り返し、遂には自暴自棄になつた右両名から検事の恣意的な供述調書を作り上げたのであって、これらの各検面調書は検事の意見書的意味しか有せず証拠能力は全くないものと断定せざるを得ない。

要するに、本来、火伏純雄と被告人秀雄とを本件法人税法違反事件として逮捕、勾留して取調べる必要性もなければ、逮捕、勾留を正当づける理由もなく、更には検察当局においてもその取調べをする意思は全くないのに、検察当局においては専ら贈収賄事件として政界の大物まで発展することを熱望する余り実質的には贈収賄事件としての右両名の逮捕、勾留に及んだものである(この点は火伏純雄の原審第四回公判廷における供述、被告人の原審第五回公判廷における供述、前記日記感想録、火伏純雄の昭和四二年一月一六日付検面調書の一頁には贈賄被疑事件と表示)。検察当局は右両名を贈賄容疑で人権を無視してまでも取調べたがその目的を果さなかつたので、常識的で合理的な根拠に基づいた国税局の脱税額の認定のまゝで事件を立件することができない窮地に陥り、勾留延長を敢行してまで捜査の違法、一種の別件逮捕の誤ちをカモフラーヂユするため、国税局が査定した秘匿所得より遙かに超過する秘匿所得額を設定し、火伏純雄と被告人および長滝田茂雄からそれぞれ無理な誘導供述をとつたのである。

そもそも、本件法人税法違反事件については大阪国税局により昭和四〇年一一月二六日ころ摘発を受けて十二分の取調べを尽され、関係証拠品一切を差押えられていて、火伏純雄や被告人秀雄の手元には何ら隠匿すべき関係資料はなかつた。検察当局は昭和四一年九月一二日付で大阪国税局から本件法人税法犯則嫌疑事件として告発を受け、証拠資料一切を手元に有していたのであるから、何も告発後約四ヶ月を経て突然に火伏純雄と被告人を逮捕、勾留する必要性は全くなかつた。また検察当局は勾留延長の理由として「事案複雑で関係人多数の取調べを要する」としているが、全く虚偽で、勾留延長後の取調べは火伏純雄と被告人との供述を付合させるための努力期間であつて、勾留期間中を通じて検察当局の取調べに関係人は長滝茂雄を二回取調べたのみであつた。

当審裁判所としては検察当局の以上のような違法な逮捕、勾留および被疑者の人権を著しく侵害した方法で録取された各検面調書の証拠能力を正しく否定され、憲法三八条および刑事訴訟法の基本理念を実践下さるよう切望します。

第二点 (理由不備・理由のくいちがい・審理不尽)

原判決は被告法人の秘匿所得額につき、被告人本人の瞹眛な推定による自白および自己矛盾の自白による各検面調書を証拠として採用しているが、その補強証拠がなく、又は、極めて証明力の乏しい証拠を挙示するのみであるから結局理由不備、又は理由にくいちがいがあり刑事訴訟法三七八条四号の事由があり、更には火伏純雄と被告人の各検面調書の任意性に疑問があるのにこれを軽卒にも看過し、右秘匿所得の算定につき検察官の主張立証を安易に鵜呑しすぎたため、審理を十分に尽さなかつた違法があり刑事訴訟法三七九条にいう訴訟手続に法令の違反があつたこととなり、その違反は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

一、火伏純雄および被告人秀雄の各検面調書の任意性についての審理不尽

火伏純雄と被告人の各検面調書の任意性の有無については、右各書面について弁護人の同意があるからといつて、安易に審理を進めるべきではなく、裁判所は実体的真実発見の職権力行使と人権擁護の立場上、その任意性を疑わしめる証拠資料が公判廷に出されたならば、右証拠能力の有無につき審理検討を尽さなければならない。原審は前記第一点各項で詳細に指摘したとおり右各検面調書の任意性につき疑しき点が明白に散見できるのに、この点を全く無視し、何ら審理検討した形跡がない。

二、簿外預金および除外現金の増差額の確定につき理由不備又は理由にくいちがいがあり、更には審理不尽

原判決は本件秘匿所得金額…増差額の確定につき銀行調査書類による簿外預金および被告人の各検面調書(特に昭和四二年二月二三日付検面調書添付の修正増減表最下段の項)による昭和三八年四月一日から翌三九年三月三一日つき金三六〇万円(三〇万円×一二ヶ月)と昭和三九年四月一日から翌四〇年三月三一日につき金一〇五万円(一五万円×七ヶ月)の除外現金所得を算入している。

先ず簿外預金の各年度末在高をもつて簿外預金額と認定したのは速断の謗りを免れない。我々の日常生活においては銀行預金の出入が瀕繁であり、場合によつては一度引き出した預金を都合により預け戻ししたり、残額を預金に入れておくこと公知の事実であり、経験則からも明らかである。

また、右預金の中に被告法人からの所得のみが預け入られ、他の金員―例えば火伏純雄の給与の一部または骨董品の売却代金等―が混入していないとは全く断定できない筈であり、経験則上起りうることである。この点の常識的疑問については原判決摘示の各証拠から何らの合理的説明も得られず「疑しきは罰せず」の法理に悖る理由不備、審理不尽の違法がある。

次に除外現金の認定であるが、この点の証拠は全く被告人の各検面調書があるのみであり、右各検面調書はこれまた被告人の単純な推測、或いは取調検事の前記第一点各項で詳述の邪推の結果である。即ち被告人の自白があるのみで補強証拠がなく、且つまた、右自白の信憑性は著しく低い。

端的に言うならば、除外現金が前年度においては一ヶ月宛三〇万円であるのに次年度は所得が前年度に比し遙かに増大しているのに反し一ヶ月一五万円という推定に基づく簿外現金の認定は明らかに取調検事の焦躁と原審の粗雑な審理を物語るもので会計の合理性を甚しく損つている。もし次年度が一ヶ月一五万円ならば前年度は当然一五万円以下という推計がごく自然であり常識に合致すべき金額であろう。

三、骨董品の購入金額の確定について

骨董品の購入関係について事実を知つているのは火伏純雄と長滝谷茂雄の二人であり、原判決採用の同人らの検面調書によつて骨董品購入代金額が確定されなければならない。被告人は骨董に趣味もなく、骨董品の価値も判らない上、取引に立会うこともなかつた。(被告人の原審第五回公判廷における供述)ので、被告人の骨董品購入関係に対して供述している被告人の各検面調書は全く証明力がない。そこで骨董品の購入代金の授受が現実に如何程かという点とその代金がすべて被告人の手を経てだされたものか、または、火伏純雄の個人財産から出捐された金額は全くなかつたと断定できるのかという点の疑問が残る。詳しくは後記第三点、第四項で述べるのでそれを援用するとして、この点に関する証拠が稀薄であり原判決挙示の各証拠をもつてしては合理的確信に至らないのである。長滝谷および火伏純雄の各検面調書はあくまでも推測であり、長滝谷の原審第八回公判廷における供述から考量すれば原判決採用の各証拠には矛盾が多く原判決認定の金額は到底肯認できないのにこれを看過した審理不尽がある。付言すれば、原審において、検察官が捏造した簿外預金、除外現金の全額認定、松本薬品の変名仕入れ、その他原審弁護人の弁論要旨第四項で主張した各簿外経費を全額否定しこれらを秘匿所得として計上した為多額の使途不明金が湧出したのであり、検察官の意図に基づき右使途不明金を骨董品購入代金にこじつけられたのである。実際には経費として使用された金額であり、その金額が合理的であるから経験豊かな大蔵事務官が他の病院の経費に照合して妥当とみて被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書により経費認定されたのである。従つて、現に経費として消費された金額を原審のように非常識に否定すれば多額の使途不明金が発生するのは当然であり、その不明金の行方をいくら探索しても、国税局の認め現に経費として消費した金額の存在に思い至らない限り判明しうる筈がない。経理の実態や被告法人の内容を知らずして、いたずらに経費を否定するのは実質課税の原則を破壊する公権力による蛮行である。

四、松本薬品商会名義の変名仕入について

この点については原審弁護人提出の弁論要旨第五項中にも詳細に論じてあるのでこれを援用する。しかし原審は何ら合理的根拠もなく松本薬品商会名義の変名仕入をすべて架空仕入と認定した。原審は第二項の点については安易に秘匿所得を認定し、従前来国税局も経費として疑問も抱かず、特に裏付資料も被告人が昭和四一年二月七日付で大阪国税局に提出した供述書の記載内容をもつて合理的に経費として正当と認められたにも拘らずこれを否定したのは審理不尽も甚しい。被告人の昭和四三年二月二三日付検面調書第一項では検事の誘導のまま右変名仕入が架空だと供述したことになつているが、被告人の当時の記憶では「現実の仕入も一部あります」と供述したにも拘らず誤つた内容の供述がとられたのである(この点は当審で被告人尋問により明確にしたい)、現に、被告人は当初より右変名仕入の一部は実際の仕入であることを供述しており(昭和四一年二月五日付大蔵事務官に対する質問てん末書問三の項、同年二月七日付同質問てん末書問七の項、昭和四二年一月一七日付検面調査書第三項3、原審第五回公判廷における供述)、火伏純雄も原審第四回公判廷においてこれに添う供述をしているのに、原判決は右経費の厳然たる存在に何らかの審究の労すらとつていない。

五、簿外経費の存在について

簿外経費として(1)京都大学研究費二五万円、(2)看護婦雇用人に伴う経費一八万円、(3)賀陽宮家に対する顧問料一〇万円、(4)慰安旅行費二〇万円等の各簿外経費については国税局においても合理的として経費認定を受けたのに原審は何らの審究を経ないで前記同様否定した。当然ながら反射的に使途不明金が捏造されこの金額についても骨董品購入資金との無理な技巧的な辻褄合せが図られた。原審としては右の点について原審の弁護人提出弁論要旨第六項の主張とも勘案して合理的疑問をもつて審理を尽すべきであつた。

第三点(事実誤認)

原判決は以下のとおり明らかに判決に影響を及ぼす事実誤認があるので、当審におかれては慎重審理の上破棄自判されたい。

一、松本薬品名義の変名仕入の経費計上否認について

原判決は被告法人において購入した松本薬品名義の変名仕入をすべて否認した。右原審の認定が極めて不合理で実情にそぐわないことについては前記第二点第四項で論じたのでこれを援用し、正規ルートを通さないで薬品を購入することは各医院が一般的に、慣行的になしているのでありこれについては原審弁護人の弁論要旨に詳しいのでこれを援用する。

国税庁の取扱例をみても、特に裏付け資料がなければ一般的に総収入に対する薬品仕入の経費率を三二%としており、これは合理的慣行である。(当審において証人として大蔵事務官小池喜芳の採用を求め、被告人尋問の結果によりこの点を明らかにしたい)。被告人の当初の申告および国税局の第一回更正決定額よりみた薬品仕入の総収入に対する経費率は概ね昭和三九年度で二七%前後、昭和四〇年度で二三%前後と他の医院に比較して経費率が低く常識的であり良心的であつたと言える。被告法人においてはむしろもつと多くの医薬品購入があつたにも拘らず失念などにより経費計上に脱漏があるのではなかろうかと思料される程である。しかるに原判決の右経費率は昭和三九年度で約一九%、昭和四〇年度で約一一%にすぎなく、果してかような経費率で運営されている病院が存在するのかと驚嘆する程低度の経費率である。特に被告法人のように胃腸関係の患者を多く診療する病院では他種の疾病患者を診療する病院と比較し投与医薬の多いこと周知であるのに卒然と右松本薬品名義の変名仕入を全部否認したことは事実誤認も甚しいといわねばならない。もし、原判決認定が正しいとすれば原判決認定の総収入額―結局所得額認定が甚しく高きに失するというの他なく、合理的推計を蹂躙した事実認定といわざるを得ない。

被告人が昭和四一年一月二一日付大蔵事務官に対するてん末書問一に対し「松本薬品商会からの仕入はすべて架空である」旨と供述をしたことになつているが、被告人の意識では松本薬品商会は存在しないので同商会からの位入は全くないと答えたのが右の内容のようになつてしまつたので、同年二月五日にその誤りに気がつき同日付てん末書問三の項で訂正し、被告人の手持の資料(紛失した)に基づき昭和四一年二月七日付でその明細を明らかにした供述書を大蔵事務官に提出し、正当として受領された(当審において被告人尋問により明らかにする)。その余の詳細は前記第二点第四項のとおりである。

二、簿外預金、除外現金の認定について

この点については前記第二点第二項で詳述したとおりその認定は極めて杜撰であり、原判決の事実誤認は甚しい。即ち、簿外預金の在高をもつて何故その年度の診療収入金額と認定したのか定かでない。預金から一度引き出した金をまた全額或いはその一部を預け戻したり、更には被告法人の収入外の金員―個人所有の金員が相当額(この額の確定は不可能である)があつたのであるから原審の事実誤認は明らかである。

次いで、除外現金の昭和三九年度一ヶ月三〇万円宛、昭和四〇年度一ヶ月一五万円宛の認定は、右各年度の総収入額、所得額の対比から考量しても不自然極りない上、その証拠は被告人の名検面調書により空想的に算出されたものであり、除外現金の存在および額について合理的に確信できる証拠はない。何故昭和四〇年度の除外現金が昭和三九年度のそれよりも半額も少ない一五万円となつたのかという極く自然な疑問に答えることはできない。昭和四〇年度の一ヶ月宛一五万円の除外現金が被告人の昭和四二年三月二三日付検面調書の供述のとおり昭和四〇年度分につき一一月以降は裏の金銭出納帳があつて簿外預金の対比上除外現金が一ヶ月宛一五万円程度と推計(これも検事の理詰めによる誘導尋問から空想された結果であること第一点各項目により明らかである)されたものである。もし昭和四〇年度の除外現金一ヶ月宛一五万円が合理的推計に合致するならば、当然昭和三九年度の除外現金については一ヶ月宛一五万円以下と推計しなければ合理性を失うこと明らかであり、これらの点からして、検察当局が秘匿所得の増大化にいかに焦慮していたかが明白であつて、右除外現金の合理的推定は不可能である。

三、その他の簿外経費の否認について

その他の簿外経費として(1)京都大学研究費二五万円、(2)看護婦雇入に伴う経費一八万円、(3)賀陽宮に対する顧問料一〇万円(4)慰安旅行費二〇万円等の各簿外経費の認定が極めて杜撰であることは前記第二点第五項で詳述したのでこれを援用する。右各経費についても何処の病院であれ常識的に経費として処理されていること周知であり、看護婦の経費についても採用困難の時世から考えても右金額相当の経費を要したろうことは合理的に推測される。

四、骨董美術品購入代金の理事長貸付金計上について

本件法人税法違反事件が最も不可解で疑義が多く、また、何ら合理的根拠もなく空想的に計数関係が辻褄合せをされたのが骨董美術品の売買の有無とその代価であり、本件に関する仮空の使途不明金のすべてが右骨董に消費されたとこじつけられ、集約された。前記第二点第三項で正当に指摘したとおり骨董美術品の購入関係を知つているのは火伏純雄と長滝谷茂雄の両名のみであつて、被告人が検察官の理詰と誤認誘導との絡み合せのまゝ勾留時の精神的苦痛、肉体的衰弱において昭和四二年三月二三日供述した検面調書は何らの証明力をも有せず、同検面調書添附の作成者不明にかゝる「美術品購入資金調表」を恰も真実に合致するかのように整理しても、いよいよもつて検察当局の辻褄合せのためのこじつけの域を出ない右資金調表であり、何らの証明力もない。

原判決が右骨董美術品購入代金の存在することの確証として長滝谷茂雄の昭和四二年一月一六日付検面調書を採用しているが、同添附の骨董品売買一覧表も検察当局の誘導威迫による取調べと長滝谷茂雄の短時間下における想像の下に作成されたものであつて、決して真実を表象するものではない。現に長滝谷茂雄は原審第四回と第八回の公判廷において骨董美術品の売買につき多くの誤謬訂正を供述しており、且つまた、火伏純雄は原審第四回公判廷においてこれに添う供述をしており同人作成のメモ帳からも明白に看取される。原審弁護人もその弁論要旨第三項で右の点につき鋭い疑問を投げかけておるにも拘らず原審は何ら審究を尽さず卒然と美術品購入代金の確認につき検察官の主張立証どおりの認定をした。各骨董美術品の購入代金は理事長火伏純雄への貸付金として被告法人の所得に計上するのであるから、原判決としては確信に至る証拠がない限り「疑わしきは罰せず」の法諺どおりこれをすべて否定しなければならないのに、却つて被告法人の不利益に認定するなど事実誤認甚しいものである。また瀬戸関係からの骨董品購入関係についても多くの疑義があること火伏純雄の原審第六回公判廷における供述から明らかである。

五、各事実誤認の生じた縁由について

原判が以上のとおり何故多くの事実誤認に陥つたか、それは何よりも検察官の主張立証を無批判に採用し、真実の語る合理的疑念に注意を欠いたからである。検察当局が火伏純雄および被告人を見込み違いの贈賄事件として別件逮捕、勾留したことによりその取調べが常軌を逸してしまい退引きならない破目に追込まれた結果、検察当局の体面上常識的合理性を有する国税庁の所得査定では処分できなくなり、更に所得を上積みした本件起訴に及んだ実情を知らなかつたためである。

裁判所は先ず被告法人の総収入と経費との比率を綜合的に鳥瞰してその権衡を計らなければならなかつた。即ち、総収入と経費のバランスを考えるのが会計学の基礎命題であり、このバランスが不自然な場合には経理上容認できない誤ちがあるものと思料されなければならない。この点については前記第一項で述べたとおり国税局の認めた諸経費を否定し、簿外預金、除外現金の秘匿所得額を甚しく多く想定し、そこから生じた観念的使途不明金の行方をすべて骨董美術品の購入代金として支出されたと断定し、これを理事長貸付金として処理したところに原判決の致命的欠陥がある、もし、原判決のとおり簿外預金や除外現金の存在およびその額の確定を推測を前提として秘匿所得に計上するならば、当然に松本薬品名義の変名仕入の存在やその他の簿外経費を認めるべきであろうし、骨董美術品の購入関係が不明としてこれを容認すべきではなかつたろう。税法特に租税刑法の解釈適用にあたつては殊更慎重に実質所得の額を精査検討すべきであり疑わしきは被告法人の利益に解釈されなければならない。法人税法二一条は「内国法人に対して課する所得に対する法人税の課税標準は各年度の所得とする」とあり、同法二二条には「前条の所得の金額は益金の額から損金の額を控除した金額とする」旨の規定をおき実質課税の原理を高唱している。原判決のように租税原理に背反した所得認定をされては国税局においても今後の処理に困惑するであろうし、一般大衆に対しては何らの説得力もなくたゞ租税刑法の恐怖を伝播させるのみであろう。火伏純雄をして日本の国に居住することの自信を失つたとまで嘆息せしめている。

第四点(刑の量定の不当)

原判決の刑の量定は厳重に失し不当である。原判決は簡単に法令の適用関係を明らかにしたのみであつて、被告法人および被告人に対する多くの情状を不明にしたまま刑の量定をしたのは不当であり、特に第二項で述べる多額の重加算税の完納という事態に一顧すらしていないのは刑の量定につき権衡を著しく失したものというべきである。

当審におかれては以下の諸点を十分にご賢察の上、被告法人および被告人に寛刑を言渡されたく上申する次第です。

一、所得計算の著しい不正確

原判決各認定の被告法人の所得計算は判示各証拠から推測される最大限の所得をもつてなされており、その所得計算方法については前記第二、三点の各項目で詳述したとおり根拠不十分な資料ばかりである。租税法特に刑罰法につきその解釈態度、事実認定は何よりも納税者、被告人の利益に帰するようになされるべきであり、実質課税の原理の実践に努められるべきである(同旨東京地判昭三九・七・一八行裁例集一五・五・一三六三)。仮に、右所得計算がやむを得ないものとして肯認されるにしても、検察当局の前記第一点で各詳述した昭和三九年度の六、五九三、九〇〇円および同昭和四〇年度の三、六五六、三三〇円の増差所得額は或いは全く存在しないのではないかとの懸念を払拭することはできない。即ち被告法人の所得はいずれも右の各増差額を控除した、査察官告発による所得額昭和三九年度一七、一二〇、八六〇円、昭和四〇年度二二、一二三、二五四円綜合的経費率の調査から考量して権衡を有する妥当な算定と思料される。そこで、原判決のような概括的所得計算がなされたときは、それ故をもつて当然刑の量定につき酌量減軽が行われなければならない(同旨高知地判昭三五・三・三〇税務訴訟資料三一号一四〇頁、東京地判昭三七・一二・六税務訴訟資料三四号五〇一頁)。

二、本税、重加算税等の納付

被告法人は原判決認定の所得計算につき疑義を有していたが、相当額の脱税の事実については十分に認識、猛省しており、本件公訴手続きに先き立ち各年度の本税重加算税等の完納に努力し、再度の更正決定に対し異議の申立を断念した。右納付の実情は左表のとおりである。

<省略>

右表によつて明らかなとおり、法人税のみを考量しても重加算税および延滞利子を両年度合計すると八、八三二、六六〇円となり脱合計額一九、〇一八、二三〇円の約四四・三%に該当する。その上法人の府市民税、重加算税等を加算すると極めて多額の制裁金支払となること右表から明らかである。被告法人としては当時莫大な負債と支払利息の支払に追われていたが(大蔵事務官作成の右両年度の修正貸借対照参照)、先ず右表記載の各本税および重加税等の支払・完納に死力を尽した。(添附領収証のとおり)

当審におかれて熱知のとおり、罰金と重加算税との併科は憲法三九条の精神に牴触するのではないかとの批判もあり、その運用は社会の注視の的となつている。形式論的に罰金は刑罰であり、重加算税は行政上の措置である(最高判昭三三・四・三〇民集一二・六・九三八)と区別しても右重加算税等は実質的には特に納付者、被告人の立場からの刑事制裁としての機能を有しているではないかとの疑問に答えていない。更に、重加算税の課税要件は脱税犯の構成要件と殆んど異るところがない。思うに、重加算税のように極めて多額に昇り、推定による所得計算がなされた場合には、更に刑罰による制裁を行うにはその根拠が稀簿であり、二重刑罰になるのではなかろうか。すなわち、重加算税にする多額の制裁金額収は公権力により強制的に実現されるから刑罰に代置されたものであり、その意味においても罰金の額は遙かに軽減されるべきである。もしも右の点について慎重な比較検討を怠り原判決のように重い刑罰を科することになれば二重処罰として違憲の疑いが濃厚となる。

従つて、被告法人において法人税はもとより重加算税も誠意をもつて速やかに完納したのであるから刑の酌量減軽がなされるべきであつた(同旨大阪地判昭三二・四・二六税務訴訟資料二八号一七三頁、前掲高知地判、函館地判昭和三六・二・一八同資料三二号八頁、東京高判昭三七・二・一七同資料三二号五三一頁、名古屋高金沢支判昭三八・四・二〇同資料四〇号三〇六頁)。

三、本件公訴提起に至つた事情

本件法人税法違反事件で被告法人理事長火伏秀雄および被告人が実質的には贈収賄事件のためのいわゆる別件逮捕、勾留により延べ一六日間に亘る非道、屈辱的取調べを受け、その結果検察当局の体面上本件公訴が提起されたこと前記第三点第五項で詳述した。右別件逮捕、勾留の一因は被告人側にもあつたことは確かであるが、大蔵事務官の好意による税務指導が当を得ていなかつたのである(被告人の原審第五回公判廷における供述)。ともあれ、通常検察当局としては贈収賄の容疑を有しなければ前記第一点各項で述べたように逮捕、勾留をすることもなく、最も常識的であり公平な国税局の告発書記載のとおりの法人税額、重加算税額の計上で本件も平穏に終結していたこと予測に難くない。それ故、大蔵事務官および取調検事の軽卒な公権力の行使により被告法人および同理事長火伏純雄、被告人の精神的、肉体的並びに経済的な過大な苦痛と彼らの社会的名声に不必要な傷痕を刻みつけたのであるから、既に制裁は尽されたというべきであつて、追い打ち的な重罰を科するのは生ける法の道ではないと思料する。

四、経理の杜撰さと脱税態様の幼稚さ

被告法人は元火伏純雄の個人病院が拡大発展した末昭和三八年二月一一日医療法人として発足した(被告人の昭和四二年一月一六日付検面調書第四項)。火伏純雄は医業一本に専念し、胃腸の専門病院として優秀な実績を持ち、多数の人命を救い社会に大きく貢献して来、被告法人となつてその名声はますます高まつている。(証人椋田勤の原審第四回公判廷における証言)

その関係から火伏純雄は病院の経理については昭和三七年八月以来その娘婿である被告人秀雄に一切を任せ、被告法人結成後も同被告人を全面的に信頼してその経理を継続担当させ、毫も疑うことを知らなかつた程温厚篤実な人柄であつた。一方被告人秀雄は慶応大学卒業後実父のミシン製造販売業を手伝ううち不明だつた経理を実践的に覚えたものであり、その性格は恬淡として物事について極めて大まかな処理をする傾向にあつた。(証人伊藤実の原審第四回公判廷における証言)被告人は日頃火伏純雄が病院の施設の拡張と診療器具の充実を企図し、医療の万全を熱望しているのに感激し、義父に対する恩返しと思い、経済的側面から協力が誤つた経理処理に陥つたのであつた(被告人の原審第一一回公判廷における供述、被告人の昭和四二年一月一六日付検面調書第六項)。しかし、被告人はその性格の大雑把さと経理に対する幼稚で杜撰な処理方法により、単純素朴な脱税行為に至つたのであり、行為そのものは決して悪質とは言えない。また、理事長火伏秀雄において被告人の監督が不十分であつたとは言え、多数の医師、従業員を擁し、毎日自ら先頭に立つて難解な医業に従事していたのであるから(火伏純雄の原審第四回第一一回公判廷における供述)、右落度をもつて厳しく非難するのは該らないし、多大な借財に苦しみ(被告人の昭和四二年一月一六日付検面調書第四項以下)本件による増差法人税および重加算税に喘ぐ被告法人に更に加重な罰金を科することは適正な刑罰の要請に悖るものである。

五、本件関係者の反省等

被告法人理事長火伏純雄および被告人は原審公判廷においてもそのたびごとに脱税を恥じ、それ故にその前記第二項のとおり多大な負債に苦しむ資金の中から莫大な法人税と重加算税を速やかに支払つたのである。被告法人、火伏純雄および火伏秀雄とも既に精神的、肉体的、社会的関係全般に亘つていたいたしい程傷ついている。社会にとつて極めて有為な人材であり被告法人をこれ以上窮地に追い込むことを避け、火伏純雄および被告人が安じてその道に邁進できるよう以上の各情状を斟酌され恩情ある判決を望む次第である(火伏純雄および被告人の原審第一一回公判廷における供述)。

第五点 当審における事実審理の請求

弁護人らとしては原審における被告法人および被告人に対する弁護活動が不十分であつたと思料されるので、前記第一点ないし第四点の各主張が当控訴審において十分に認識されることを確信し立証活動を尽すため是非とも原審記録と本控訴趣意書をご賢察の上、当審において事実の取調をなされたく、その請求をする次第です。

以上

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